「隣の芝生に遊びに行こう」

過去

“隣の芝生は青い” ”隣の芝生は青く見える”
皆さんも一度は耳にしたことがある言葉だと思います。

私は、嫌なことがあるとすぐに他と比べ、
逃げ道ばかりを探して人生を過ごしてきました。

考えすぎてしまう性格なため、学生時代から多くの時間を
悩んだり考えたりすることに時間を使っていたんです。

「どうやったら逃げれるだろうか、都合の良い逃げ場所はないだろうか」と。

自分以外の他の場所は、私にとってどれも輝いていました。
良い側面だけを見て、そこに飛びつこうとしているただの卑怯者です。

それでも、ただ考えたり調べたりするだけで、実際に行動に移すことは出来ないのです。
怖くて逃げ出したいけど、現状を変えることはもっと怖い。
自分の判断に自信が持てない。物事を決めることに責任を取りたくない。

こんな私にも、話を聞いてくれたり相談に乗ってくれるが存在がたくさんいました。
母、友達、先生…
その存在に何度も救われましたし、本当に恵まれていたと感じます。
今でも本当に感謝の言葉しかありません。

そして、誰に相談をしても必ずかけてくれた言葉
「隣の芝生は青く見えるものだよ」

昔の私はその言葉を素直に受け止め、逃げ出したくなっても一度は立ち止まって、
自分なりに何度も何度も考えを巡らせました。

そうすると、一時の感情に振り回されていただけなのだと気づかされ、
また、元通りの生活を送る。それの繰り返し。

そしてある時こう思ってしまったのです。
「結局、我慢をすることが正解なんじゃないか」

現在

そんな私も社会人となり、日々社会の荒波にもまれています。

例のごとく、気にしすぎ考えすぎの私が現れ、
余計な疲労を自分で増やしているといった状況です。

かれこれ数十年付き合っている私の身体ことですから、
「あーまたこれか」と諦めつつ、思う存分考え続けることにしています。
そしてまた何も変わらない、いつもの日常に帰る。

しかしある時、考えに変化が起こります。

「私の人生、このまま終わってしまうんだろうか」

学生時代に悩まされていた物事は長くても3、4年程度のもの。
それを乗り越えたら進学や就職が待っててくれていて、強制的に環境が変わっていました。

そうやって、その”変化の時期”を目標にがむしゃらに取り組み、
いつかは終わるのだと言い聞かせ、我慢することも出来ていた。

社会人になってしまうと、そんな大きな変化は待っているだけではやってこない。
あと何十年もある人生を、この仕事で、この環境で続けていくことになる。

そう思うと、いつものように行動に移せない私自身がとても怖くなってしまったのです。

「人生は1度きり」
嫌いだったはずのその言葉の重みが、ようやく理解できたような気がしました。

これから

「隣の芝生は青い」
悲しいことに、おそらく大半はその通りなのだと思います。

しかし、目の前の芝生の色なんて人によって写り方が違うと思いませんか?

どれだけ自分なりに調べて考え抜いても、他人に相談をして話を聞いても、
実際に自分で行ってみないと分からない。

もし仮に、全然思っていた世界と違っていたとしても、
自分で経験して「芝生は青くなかった」と一つの答えを出せることって大きなことだと思います。

本当に隣の芝生が青かったのかどうか、
自分の目で確かめずに終わるんて絶対に嫌です。

これからの人生、色んな芝生・色んな世界を自分の目で見てみたい。

でも、”ちょっと遊びに行く” ”ちょっと覗きに行く”
そのくらいのテンションじゃないと、きっと私には荷が重すぎます。(笑)

これまで、やってみたかったことや挑戦してみたかったことなんて沢山あったのに、
いつも考えすぎて、動くことが出来ませんでした。

今、出来ることからとりあえずやってみる。

そんな気持ちで今日、ブログを書くという小さすぎる一歩ですが
初めて自分の意思で行動することが出来ました。

これからも、この新たな居場所を通じて
様々なことを発信していけたらいいなと思います。

もし、同じような思いの人がいてくれるのなら、
私と一緒に「隣の芝生に遊びに行こう

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